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多民族国家:国力増強の一方で崩壊の危機も、、、いざの時には、もう手遅れか?
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    多民族国家:国力増強の一方で崩壊の危機も 4/1(月) 6:00 Yahoo!ニュース 22 街中で展示されるトーチカ  ♪さらば地球よ 旅立つ船は 宇宙戦艦 ヤマト  宇宙のかなた イスカンダルへ 運命背負い いま飛び立つ♪  「宇宙戦艦ヤマト」の主題歌の冒頭である。  地球を救うためにガミラス帝国の重囲をくぐって、宇宙戦艦ヤマトで地球からはるか離れた宇宙にあるイスカンダル星へ救援依頼に行く勇壮な物語として大ヒットした。  インドの軍神「スカンダ」はアラビア語やペルシャ語の「イスカンダル」に由来し、ギリシャなまりがアレクサンドロス大王とされる。  他方、インドネシアやマレーシアなどのイスラム社会では地方のスルタンの称号としてイスカンダルが使われており、権威(者)、保護者、あるいは征服王の意もあるようだ。  ともあれ、イスカンダルとはアレクサンドロス大王の謂いでもあったのだ。  不思議に思えるが、キリストはセルビアではハリストスと呼ばれ、女優の(オードリー・)ヘップバーン(Hepburn)は発音重視でヘボン(ヘボン式ローマ字など)となる類推で理解できよう。 ■ イスカンダルの国、バルカン諸国  このイスカンダルの里を筆者は昨年から今年にかけて訪ねた。  より正確にはアレクサンドロスを生んだマケドニアをはじめ、サラエボやコソボなど旧ユーゴスラビアの5か国とアルバニアの6か国である。  ボスニア・ヘルツェゴビナ(以下、ボスニアとも略称)とコソボ共和国以外は民族名を国名としているが、その民族だけで構成されているわけではない。  例えば、マケドニア共和国はマケドニア人が多数(65%)であるが、アルバニア人(21%)やトルコ人(5%)などもいて、宗教もマケドニア正教やイスラム教などである。  他も同様に民族と宗教が混在し、人種のるつぼと称されるゆえんである。スラブ人が南下して山また山の谷あいに民族の地域社会を作り、それぞれが国家を形成していったからである。  ボスニアは民族構成がイスラム教徒(ムスリム)約44%、セルビア人約31%、クロアチア人17%のように拮抗している。  またコソボ共和国はアルバニア系祖先(イリュリア人)の伝来地でアルバニア人が90%であるが、中世以降はセルビア王国の中心地となりセルビア正教発生の聖地とされていることから、ここも民族名の国家とはなっていない。  戦中生まれの筆者はユーゴスラビアについて、チトー大統領が第2次世界大戦戦後のパルチザン活動を経てつくりあげた国で、1つの国家・2つの文字・3つの言語・4つの宗教・5つの民族・6つの共和国・7つの国境で囲まれた、多様性をもつ理想の国家のように教わった。  しかし、実際は民族と宗教が混在するだけでなく、東洋と西洋、イスラム世界とキリスト教世界の接点という地政学的にも複雑極まりない地域である。  ローマ帝国、ビザンツ帝国、オスマン・トルコ帝国、オーストリア・ハンガリー帝国などによる攻防が絶えず繰り返され、統治者交代と領土変更の歴史であり、その影響はいまに及んでいる。  20世紀を見ただけでも、第1次世界大戦の火ぶたを切ったのはサラエボ(ボスニア・ヘルツェゴビナの首都)であったし、チトーが亡くなるとユーゴスラビアは解体し、ボスニア戦争やコソボ紛争などが頻発した。  コソボ共和国がようやく独立したのは10年前で、建物の一角には独立を認めてくれた国に対する感謝の表明が見られ、日本に対しては「ARIGATO GOZAIMASU JAPAN」と書かれていた。  現在は(北から)ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア共和国、モンテネグロ、コソボ共和国、マケドニア共和国として独立している。 ■ 他国の国旗がはためく不思議  セルビア人はセルビア共和国に最も多く住んでいるが、隣国ボスニアにも多く住んでいる。  ボスニアでセルビア国旗が掲げられているのを見たとき、「あれ、ここはボスニア・ヘルツェゴビナのはずだが?」と思ったが、セルビア人が多い地域では必ずしも自国(ボスニア・ヘルツェゴビナ)の国旗ではなく民族の旗を掲げることもしばしばあると仄聞した。  同様なことをコソボ共和国でも経験した。プリシュティナ(コソボ共和国の首都)の市庁舎前を通った時、市庁舎に掲げられている旗はコソボの国旗でなく、なんとアルバニアの国旗であった。  聞けば、直近の市長選挙でアルバニア系が当選したからだという。コソボの住人はアルバニア系がほとんどであるからさもありなんとも思うが、日本人には理解し難く、火種が絶えないのも頷ける。  そうした中で、昨年(2018)12月15日のTBS放映の「世界ふしぎ発見」は、モンテネグロの「日本村」を特集していた。  村長の説明によると、村が南のアルバニア国境に近く昔から戦いが多かったので、大国ロシアに勝った日本のように強くなりたいということと、モンテネグロで最初に日が昇る村は世界で最初に日が昇る日本と同じという2つの理由から「日本村」になったとのこと。  驚くなかれ、日本とは明治時代から親交があったそうで、明治天皇の御真影や天皇が授けた勲章などもあり、また有田焼のツボなどが大事に保管されている状況も映し出していた。  日露戦争が世界の国々に大きな影響を与えたことは歴史で学ぶが、100万にも満たないモンテネグロのような国の中の小さな村が日本を慕っていると知り誇らしく思うと同時に、日露戦争が世界に与えた影響など忘れてしまった日本人に檄を飛ばしているように思えた。 ■ 要塞とトーチカが教える紛争の絶えない地政  それぞれの国(モンテネグロは福島県ほどで人口60余万人、多くが人口200万〜300万人台、最大が北海道ほどで人口730万余のセルビア共和国)は、谷間の街を守る要塞や堡塁を丘陵や山岳に張り巡らせている状況である。  そうした要塞の多くがローマ帝国時代に建設され、その後の支配者によって増改修が加えられている。まさしく要塞は支配者の権威発揚の証でもあったということであろう。  アドリア海を隔ててイタリアに向い合うアルバニアは地勢的には周囲のモンテネグロ、コソボ、マケドニア同様に旧ユーゴスラビア共和国に包含されても不思議ではなかった。  しかし、フランスで共産主義に出会い、帰国してアルバニア共産党の指導者となったエンヴェル・ホッジャはガチガチの共産主義者となり、緩やかな社会主義政策をとるチトー大統領の政策に満足できずにあえて孤立を選ぶ。  その代償は国民3人に1個の兜型トーチカ構築で、狭い国土を70万個超で埋め尽くす最貧国に成り果てたのである。  今は取り壊す資金がなく、山岳地帯では残置され、街中のトーチカは観光資源として展示されていた。 ■ 国名も国旗も自国で決められない  「アレクサンドロス」とそれを生んだ「マケドニア」は国際化が進んでいる現代、国家の知名度を高め、観光客誘致などの視点からも価値が高い。  そうした商標価値の高さが、皮肉にもマケドニアに自国の国名も国旗も自由に決められない矛盾をもたらしたのである。  アレクサンドロス時代のマケドニアの南部50%は現在ギリシャ領になっており、東部の10%はブルガリア領で、当時の半分以下の約40%の地域が今日のマケドニアである。  ところが、ユーゴスラビア分裂後の新生マケドニアは旧来のマケドニアを呼称し、アレクサンドロス時代の国旗を使用できなかった。  それらの使用が、ギリシャやブルガリアに領土拡張の疑念を抱かせるからであった。  そこで、暫定的に「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」という国名を使用し、国旗は大王時代の「ヴェルギナの星」(赤地に16本の光を放つ黄色い太陽で、旭日旗に類似)を変形して8本の光にしていた。  ロシアはロシア文字の発祥地であり、スラブ民族の居住地でもあるバルカンに影響力を持ち続け、EUから切り離したい意向をのぞかせてきたが、ギリシャがマケドニアの国名問題に干渉しているとしてロシア外交官を追放する一幕もあった。  このように、国名や国旗さえ自分で決められない複雑なバルカンであるが、今年ようやく「北マケドニア共和国」で折り合いがつき、EUやNATO(北大西洋条約機構)への加盟見通しも開けてきた。  ここ数年はシリア紛争に伴う難民がトルコや地中海からギリシャ経由でバルカン半島を北上してハンガリーやボスニアを目指すなど、大きな問題にもなってきた。  アルバニア生まれのスカンデルベルグは幼少時にイスタンブールに連れて行かれ、オスマン・トルコの宮廷騎士となる。  東ローマ帝国やセルビア、ハンガリーなどとの戦いに従軍して軍司令官までなるが、後にオスマン帝国に反旗を翻してアルバニアを独立させた英雄である。  マケドニアに多く住むアルバニア人にはアレクサンドロス大王は親近感があり、アルバニアの英雄はアレクサンドロス大将と渾名された。  発音の訛でアレクサンドロス→イスカンデル→スカンデルベルグとなる仕儀から、アレクサンドロス大将はスカンデルベルグと呼ばれ、アルバニアだけでなくコソボにも勇壮な乗馬姿の銅像が建てられている。 ■ 外国人を積極的に活用したオスマン帝国  20世紀の米国が世界の頭脳を集めて発展したことは間違いない。その端的な証はノーベル賞の授賞者数であろう。米国は約350人で、英国(約120)、ドイツ(約90)、フランス(約60)に比してもずば抜けている。  しかし、国籍は米国でも、その出自はアイルランド系英国人、ドイツ系ユダヤ人、ヒンズー系インド人、さらには日本生まれの米国人など多様である。  18世紀以降の英国が栄華を誇ったのも、自国の約40倍(〜100倍ともいわれる)にも相当する面積の植民地を有し、優秀な人材(と資源)を世界各地から集めることができたからにほかならない。  オスマン・トルコ帝国が約500年にわたり勢力を伸張させたのも、バルカン半島を支配下に収め、勢力圏から優秀な人材を登用していたことが大きく寄与していたようである。  ボスニア・ヘルツェゴビナの東端でセルビア国境に近いところにヴィシェグラードという街があり、ドリナ川が流れている。  そこに架かる1577年完成のメフメド・パシャ・ソコロヴィッチ橋は、この町で生まれたノーベル文学賞作家イヴォ・アンドリッチの『ドリナ川』で有名である。  橋の名前はソコルル・メフメド・パシャという人名に由来している。  ヴィシェグラードでキリスト教徒の息子として生まれたソコルルは、オスマンの優秀な少年を親元から引き離してイスタンブールに送り、イスラムに改宗させて活用するデウシルメという制度で教育され、オスマン・トルコ帝国の大宰相になる。  幼少期にドリナ川を苦労して渡った記憶から恒久架橋を指示し、多くの犠牲を払いながら7年の歳月をかけて完成させたのが件の橋である。  文官養成のデウシルメに対し、軍人養成はイエニチェリと呼ばれた。  前述のアルバニアの英雄スカンデルベルグもイスタンブールに連れて行かれ、イエニチェリ将軍として軍功を立てた人物であったのだ。 ■ ボスニアに現れたエルドアン大統領  前述のようにボスニアには多くのイスラム教徒が住みついている。  バルカン半島は14世紀以降、オスマン・トルコ帝国の支配下にあったことから、イスラム教を信仰するイスラム教徒(ムスリム)はボスニアだけでなく、マケドニア、モンテネグロやブルガリア、ギリシャなどにも住んでいる。  ドイツにはトルコ系移民が約300万人いると言われ、エルドアン大統領は大統領権限強化に向けた憲法改正案の是非を問う国民投票への支持を得るために、ドイツ在住トルコ系を活用しようとしたとされる。  2016年7月のクーデター未遂事件後のエルドアン大統領の強権支配を快く思わないアンゲラ・メルケル首相は、ドイツを「貸座敷」に使わせてはならないとして立ちはだかったと言われる。  エルドアン大統領が「ドイツ政府があくまで自分の選挙戦を阻止するつもりなら、『民衆蜂起』に直面するだろう」と発言したとされ、この発言はドイツを移民の送り出し先どころか、「植民地」と見做していると首相には思えたからのようだ。  筆者がサラエボ近郊にいた時、エルドアン大統領を載せた専用機が数機駐機していた。  その直後であったが、市内を数十台のオートバイに先導・護衛された車列が走り抜けて行った。翌日の新聞報道によると、ボスニア在のムスリムの支持を得るための訪問であったという。  政権維持のためには外国にいる同胞を利用する一例であろうが、日中関係における示唆でもある。 ■ おわりに  日本における外国人居住者は増加し続けている。なかでも、中国人は商才にたけ、集く性格があり、日本でもいくつかのチャイナタウンを造成して存在感を示してきた。  「産経新聞」報道によると、北海道庁主宰の講演会で中国人講師は北海道1000万人計画を提示し、うち200万〜300万人を中国人移民で充当する大胆な構想であったという。  北海道の羊蹄山周辺やトマムなどのリゾート、十勝平野の広大な地域が中国系資本で買い漁られている事実は、1000万人計画が夢想ではなく、20年、30年後の現実かもしれない。  しかも今日の来日中国人は日本を潜在敵国と見做す愛国教育を受けてナショナリズムを持っている者が多い。  ことある時には中国共産党から直接的に、あるいは在日中国大使館や、発行する広報誌などを通じて指令や指示を受けて行動する。  その一端を北京オリンピックのための長野トーチリレーや、東日本大震災時の日本脱出に見ることができた。  1億2000万の日本で在日中国人は約77万人で1%にも満たないが、ほとんど20〜40歳代である。  中国事情に詳しい関岡英之氏は、年齢構成が若く、大使館の指令で動くこと、国防動員法によって非軍籍の公民と組織も普段の準備義務があり、発令時には動員されることなどから、「我が国はすでに50個師団に相当するトロイの木馬を引き入れている」と述べる。  また、東トルキスタンを新疆ウイグルに塗り替えた「新疆生産建設兵団」になぞらえて、軍事訓練を受けてやって来る技能実習生を「『日本生産建設兵団』の要員募集、養成、派兵制度ではないか」(『中国を拒否できない日本』)とも訝る。  慰安婦問題では、韓国人や韓国系米国人が中国系米国人・カナダ人などと連携して、米加をはじめ、国連などでも活発な活動を展開している。  日本からは遠いバルカンの国々を旅しながら、日本について、また日中関係について深く考えさせられる旅であった。  在日外国人の日本人化を図りながら、単純労働ではなく知財としての活用で日本の隆盛につなげる方策の追求が必要ではないだろうか。 森 清勇 関連記事 南京大虐殺の嘘:事件後、日本人は歓迎されていた! 南京大虐殺の「嘘」はどう作られ世界に広まったか 「南京大虐殺」を創作した米国と中国の呉越同舟 南京での「大虐殺」はどのように創作されたのか 南京大虐殺と好一対の大飢饉の隠蔽 最終更新:4/1(月) 6:00 JBpress (c) Japan Business Press Co.,Ltd. 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